7月28日 町を作るもの

石巻一箱古本市から昨日帰ってきて、今日は有給をとって、部屋で一日中本を読みながらごろごろしていた。けっこう暑くて、体力消耗したみたいだ。

4度目の石巻。もうすっかり、夏の年中行事。年に一度行くだけなのに、石巻の人たちはちゃんと覚えてくれていて、いつも会っているような親しさで接してくれる。

去年までは、ちょっと気負っていたようなところもある。今年は、懐かしい人たちに会いに行く、という感じになっていて、これはこれでいいのかな。

商店街の人たちに「最近は、どうですか?」と聞くと、「ふだんは、人がいないからね」と、ネガティブな話も出てくる。それでも、たまにしか来ない私に明るく接してくれる方たちには、意識の高さを感じる。同じ意識を共有する仲間がいるからだろうけど、こういう人たちがいるから、若い人も集まり、少しずつでも、町は変わっていくのだろう。

大きな資本ではなくて、個人の思いが、町を変えていく。石巻の町の変化に、これからも興味をもちつづけていこうと思う。

7月20日 人生の断捨離

ついにパイプベッドを粗大ゴミに出した。ベッドの下の畳はいつもホコリをかぶっていたから、何度水拭きしても、白っぽさがとれない。風にあて、その上で暮らしを営めば、少しは生きかえってくるかな。

しばらく、畳の上にじかに布団を敷く生活。夏にはこれもいいかな。部屋の気の流れがよくなった気がする。すると、部屋の中央にある背の高い本棚の圧迫感が気になってきた。けっこうな量の雑誌やCDを収納しているから、失くすわけにはいかない。腰ぐらいの高さのボックス家具にでもすれば、収納も確保したうえ、グッと開放感が出るかな。ネットで探してみたけど、これはというものは見つからず。本棚問題はしばらく保留。

先週の金曜日、会社で部長と直属の上司と評価面接。直属の上司が言った言葉が頭から離れない。それほど、悪気があって言ったことではないのかもしれないけど。

向かない、向かない、と公言しつつつづけてきた今の仕事。収入のためと割り切ってやるには、ちょっと難しくなりすぎている、私には。すぐに辞めることはできないけど、もう迷ったりせず、辞めることを前提に、これからのことを考えていかなくては。向かないことはあきらかで、今の仕事をつづけるかぎり、いつもどこかに不満をもって、生きていくことになるから。

人生も断捨離しないと。

7月14日 ふるえる

ここ最近、Twitterから遠ざかっていて、情報はラジオと朝日新聞だったせいか、すっかり偏っていた。ふるえるデモ、とか、シールズのこと、今日まで知らなかったのだ。私としたことが!

学生が安保法案改正に反対して、デモをしたりして頑張っているらしいということは、Facebookの友だちの書き込みからなんとなく知っていたけど、原発だって止められなかったし、左翼の言説は最近人々に届かなくなっているらしいし、ここのとこ、潮目は変わってきたけど、マスメディアが政権に押さえられちゃってるんじゃ、と冷めた気持ちでいた。

が、東京FMタイムラインで自らを右翼とする宇野常寛さんが、ふるえるデモの新しさと本気さを評価していたので、興味をもって調べると、ちょっとふるえてしまった。

職場が首相官邸のそばなので、お昼休みによく右翼の街宣車に出くわす。下品な物言いで、大音量でがなり立て、道行く人は顔をしかめて通りすぎる。内容なんて誰も耳を傾けない。当然でしょ。

それは、左翼も同じ。あれは2011年?、経産省前でテントをはって抗議をしている人たちがいるらしいと聞きつけ、その頃は近道で行けたので、会社帰りによってみると、自分たちの存在をアピールするだけの、抗議のための抗議をやっている人たち。遠目に見て、そそくさと帰った。

去年、台南を旅したとき、たくさんのカフェが「NO NUKES NO MORE FUKUSHIMA」と印刷された、イケてるデザイナーがデザインしたであろう、オシャレな旗を掲げていて、いいな、と思った。日本もこんなふうに、カフェっぽく、できればいいのに、と。生活の延長で、日常の言葉で、ちょっとオシャレっぽっく。だって、自分たちの問題なんだから、と。

でも、日本ではたぶんムリだろうなって思ってた。反原発は政治性と結びつけられて、「ふつうの人」は引いちゃうようなコントロールがされちゃうから。電通の仕業かなんか、知らないけど。

ふるえるデモの人たちは、こんな問題を軽々とクリア。というか、ソーシャルメディアが当たり前の世代で、大手メディアのコントロールなんて最初から受けていないのだろう。「ふるえる」は、西野カナの曲名からとったそうだ。そこも、すごく新しい。

おばさんも黙っちゃいられない。明日は、予定を断って、官邸前に行ってみようと思っている。

7月11日 気分も晴れ

昨夜は町人で久しぶりにおじさんと飲んだ。すっかり常連の親分格のおじさんは、ほかの若い常連さんをたくさん紹介してくれて、深夜まで楽しく飲んだ。マスターやおじさんの人柄か、3代目町人はすっかり客筋のいい店になっていた。「結婚してる?人妻感漂ってるから」なんて初めて言われた。よかった、いかにも独身感漂ってなくて。

久しぶりに天気のいい週末なので、6時起きだ!とはりきってたけど、結局生ゴミ回収の8時ギリギリ起床。念願のシーツとタオルケットを洗濯。今日の天気ならお昼までに乾きそう。もう1クール、洗濯できるかな。

昨夜楽しく飲んだからか、天気のせいか、気分がいい。世界は広いし、自分にはもっと可能性がある。そんなポジティブな思考回路が久しぶりにもどってきた。

7月4日 捨てる私

ときどき無性に断捨離したくなる。なんか捨てるものないかなーと、部屋じゅうを見まわしてみる。

心がとっ散らかってるからか、ここのとこずっとそんな気分に。で、見つけました。捨てるもの。かなりの大物。

それは、ベッド。大学3年でそれまで暮らしてた学生寮を出て、1人暮らしを始めるとき、渋谷の東急ハンズで買った、低めの黒いパイプベッドだ。母や姉に「新しいの買ったら」とさんざん言われ、IKEAに見に行ったりしたこともあるけど、ずっと1人暮らしするつもりなんて毛頭ないし、どうせ買うなら、憧れのSTANDARD TRADEのものって決めてたから、ずるずると四半世紀以上(!)使い続けてきたのだ。が、今日「サライ」をなにげに立ち読みしてたら、いいベッドを見つけたのです。

広島の府中というところで作られている、檜のすのこのベッドだ。檜がいい眠りを誘ってくれそう。すのこだから通気性抜群だし、折りたたみもできる。これなら、場所をとらないから、2人暮らしを始めたら(あくまでそういう前提です)、客用ベッドにすればいい。1人暮らしの今だって、布団をベランダに干してるとき、折りたためば、掃除もラクラク。生活がちょっとバージョンアップしそう。

で、さっそく文京区のサイトにアクセスして、粗大ゴミ回収の予約をした。前日が休日じゃないとムリだから、海の日の祝日に。

何かを捨てないと、新しいものは入ってこない。これは自然界の法則のようだ。

さて、次は何を捨てようか。

7月4日 心身を整える

昨夜は湯島の道でIさんと飲んだ。湯島で会うのは久しぶり。カウンターに座ると、マスターが中村一義とかはっぴぃえんどをかけてくれた。松本隆大瀧詠一の話をすると、「2人は仲悪かったんだよ」。多くの作品を残したから、仲良いだろうというのは、一面的すぎだね。ジョンとポールだって仲悪かったしな。

ここのとこ、お弁当を作ってないし、夕食も外食がち。洗濯もたまりがちだし、掃除もあんまりしてない。そのせいか、心の中もとっ散らかっている。この週末、とくに予定もないから、部屋をきれいにして、洗濯物をかたずけて、旬の野菜を食べて、朝の公園を散歩したりもして、心身を整えたい。

7月2日 水中メガネ

松本隆トリビュートアルバムに入っている、草野マサムネが歌う「水中メガネ」がツボにハマり、リピートしてこればかり聴いている。いかにもスピッツな曲調で、前に聴いたことあるような、デジャブ感があるのに、歌詞は初めてふれた気がする。甘くて切ないのに、ちょっとシュールな世界。ロマンチックな自主製作の短編映画を観ているような気分になる。ドラムの重低音が甘さを抑えるのに効いてる。

ずいぶん待って、図書館から借りた、是枝監督の『歩くような速さで』を読んでいる。文章が上手すぎなくて(失礼!)、すごくいい。子供時代のこと、家族のこと、海外の映画祭でのこと、映画俳優たちとの交流、映画製作のこと、日々の暮らしでのこと。監督の背景を知って、作品の理解がちょっと深まった気がする。くりかえし読むために、買って手元に置こうかな。見逃していた「ワンダフルライフ」は必見だな。

なでしこ勝ったんだね。日本はどうせ負けるって思ってた。自信なくしてたかも、日本人であることに。