6月29日 不自由さに気づく

昨日の日曜日、いきつけの美容院にカットの予約を入れていた。土曜日に見た夏帆の前髪パッツンショートカットがあまりにチャーミングだったので、「どうしますか?」と聞かれ、「夏帆でおねがいします」とオーダー。商売上手で人間ができてる店長は、表情を全く崩さず、「画像ありますか?」とクールに対応してくれた。ムチャなオーダーしておいて、なんの用意もしていなかった私にかわって、ネットを検索してくれて、「そう!これ、これ」という夏帆の最新画像を見つけてくれた。

「これ、夏帆じゃなくて、こけし?」という不安な瞬間もあったけど、最終的に納得のデキ。髪の量が多かった若い頃だと、手に負えなかったオカッパ風も、抜け毛が気になる今だとボリュームが適度に抑えられる。老けを逆手にとるというテもあったね。

今日会社に行くと、他部署の女性に「あれっ、可愛くなった」と言われた。ヤッタッw。

どうも大学生の頃から、「切りすぎちゃったかな」というときのほうが、同性に可愛いと言われる率が高い。超ショートカットのほうがきっと似合うのだろう。

服装が自由な外資系なので(いちおう、ビジネスカジュアルとかいうコードはあって、スニーカーとかキャミソールは注意される)、洋服こそコンサバからはほど遠い冷えとりナチュラルスタイル(自分的には)なのだけど、ヘアスタイルはいつも「子供っぽく見えないようにお願いします」と、どこか自由になれていなかった。

部署の同僚たちには、夏帆スタイルアピール。「大丈夫、鈴木さん(となりの部署の50代の管理職)なんて、井川遙ってオーダーしたらしいから」と部長。みんな、ムチャなことしてるね。

ちょっとモードっぽい前髪パッツンショートじゃ、一般銀行員にはモテないだろうけど、通算10数年の銀行員生活でモテたことって、2人のオタクに気持ち悪いモテ方したことしかない。 何をそんなに意識してたんだろう。

自由になれるきっかけって、いろんなとこにあるんだね。

6月28日 世の中の勉強

具体的には書かないけど、この1ケ月間ずっと心にひっかかっていたことが、「なーんだ、こんなオチ?」という結果に。ショックというより、自分のものの見方の甘さに、落ち込んでいる。

32、3の頃、好きだった人にしみじみと言われたことを思い出す。

「イクコさん、ホント、ファザコンだよね。人を良く見すぎる。とくに、年上の男。危険だ。気をつけろ」

あれから10年以上経つのに、全然成長してなかったのか。別に年上の男にダマされたわけではない。世の中の猥雑さを全く理解してなかった、自分の幼さに落ち込んでいるのだ。

人生で経験できることには限りがある。人生の先輩にもっと学ばないと。夕方往来堂へ行って、背表紙を眺め、目にとまった紫門ふみの『大人のための恋愛ドリル』を購入。「婦人公論」で読んだ、紫門さんの夫についてのインタビューに、経験豊かな大人の女性の分別を感じたから。

結婚だって、キレイごとだけではすまないだろう。そんなの両親や姉のケースでさんざん見ている。

世の中の猥雑さにもっと目を凝らして、受け入れてゆく努力をしていかなくては。少女の心をもった中年女なんてイタいだけだ。

6月27日 居場所というもの

早稲田大学の正門前の高田牧舎でサトコさんと待ち合わせ。サトコさんの友達、イケガミさんも加わって、3人で早稲田の是枝監督の講義に潜り込んだ。まずは、20分ほどの「海街diary」のメイキング映像を視聴。映画の冒頭、父の葬儀に出席するため訪れた山形の温泉旅館のロケ場所、なんと、わが故郷、花巻の藤三旅館だった。思わず、わーっと声をあげた。すずが連れて行った、すずが1番好きな場所、鎌倉と似ている眺めの高台も花巻だった。向立というはじめて聞く地名。どのへんか母に聞いてみないと。

映像の後、監督と、ゲストで、なんと、夏帆登場!生の夏帆ちゃんは、映画で見るよりずっと魅力的だった。自分の女性性を精一杯生きようとしていて、周囲もそれを大事にしている。そんな雰囲気が、キラキラした繊細なオーラから感じられた。女優という存在になんか刺激を受けた。

講義の合間、古くからサトコさんを知るイケガミさんと、サトコさんの昔の男はみんな出世しているという話になる。あげまん、というか、才能のある男と合う、ということだろうか。そういえば、サトコさんは元女優だ。

新宿へ出て、松本隆のトリビュートアルバムを買って、エスパへ。久しぶりに小野さんと会う。やっぱりこの人と話すと盛り上がる。谷根千の地元ネタなど。小野さんが早めに店を出たので、それにつづく。千駄木へ戻ったあと、飲み足りないので、小野さんとの話題にも出た、町人へ。先代のお別れ会以来、2度目だ。30代のマスターと話していると、新宿のロシア料理店で修行したことがあり、3丁目にかつてあった檸檬屋のスミエダさんを知っている、と。そうだ、その話を人づてに聞いて、スミエダさんの近況聞きに行かなくちゃ、と思っていたんだった。マスターはその場でスミエダさんに電話をかけてくれた。話すのは、5年ぶりぐらい?「変わりないか。まだ結婚してないのか」と心配してくれた。はい、はい。5年も経つのに、あいかわらず一人ですよ。今度町人で会う約束。

マスターはなかなかの文学好き。フラナリー・オコナー、フォークナーなんて単語久しぶりに聞いた。ああ、やっぱり私は文芸の話が好きだなあ。こんな話がふつうにできる場所、うれしいな。これから常連になりそう。

見失いかけてた本来の自分のいるべき場所を、映画や文学をとおして、思い出した、そんな1日だった。

いや、完璧な居場所なんてどこにもなくて、あったとしても、それはいつ失うか分からない儚いもので、だから、ここは自分の居場所じゃない、どこかに居場所があるはずだ、と探すよりも、今いる場所を、日々こつこつ自分に合ったものに変えていくことのほうが大切なのかもしれない。

6月21日 海街diary

昨日、ジュンコと「海街diary」を観た。

「何かあったの?」とジュンコに言われるぐらい、最初から泣きっぱなしだった。でも、感動というのではない。父性のない、優しい世界に、ただただ甘えるような、そんな涙だった。

映画に「父」は登場しなかった。登場する男性は、優柔不断だったり、傷ついていたり、でも、みんな女性を理解しようと、よりそって、優しい。そんな優しさを心の栄養にして、女性は自ら強くならなくてはいけないのかな、なんて思った。

海街diary」、悪くはなかったけど、国民的な人気女優を使って、派手に宣伝をして、是枝監督は、私が愛した作家性を失いかけているような気がした。「誰も知らない」や「空気人形」で描かれた、社会の外側の世界(底の抜けた社会、あるいは、狂気と言いかえてもいいだろう)、でも、そこにある「自由」に、心の深いところを癒されてきたのに。「奇跡」にもそういう感覚はあったと思う。「そして、父になる」にはほとんどなくなって、それは福山のせいだと思っていた。

莫大なお金がかかって、それを回収しなければならない映画は、本当にシビアな世界であることは想像できる。単純に昔に戻ることもできないのだろう。が、生きづらさを抱える人が楽になるような作品がもう観られないとしたら、さみしい。

「ビデオで十分だったかな」とジュンコ。長澤まさみがよかった、大竹しのぶはさすがだった、いうのは一致した意見だった。

6月14日 清澄白河さんぽ

ヘナカラーのために清澄白河へ。13時の予約だったので、せっかく日曜日、今話題の清澄白河に行くのだから、なんか美味しいもの食べようかなと、ちょうど少し前に手に入れていた、清澄白河にある雑貨屋さんが発行した、地図つきのフリーペーパーでお店を探した。山食堂という名前の食堂が気になって、食べログで調べると、オーガニックな食材にこだわった、豆カレーが人気の店らしい。ここに決めっ。

10年ぐらい前に現代美術館に来たのと(何の展示か思い出せない)、この間会社帰りにBlue Bottle Coffeeによって以来、3度目の清澄白河。裏通りを歩くと、お寺がたくさんあって、クラシックな建物がけっこう残ってたりして、下町風情もあって、悪いくない。

山食堂は、古い木造家屋を改装したお店で、家具や調度品はアンティーク、いかにもな感じなんだけど、壁はコンクリート打ちっぱなしで、ほっこりすぎず、絶妙なセンス。 カレーは通じゃないけど、まあ美味しかった。

ひまわり美容室は、地元のおばちゃんも通う庶民的な美容室だということは、HPから想像していたけど、入った瞬間、正直ちょっと引いた。貝殻のオブジェとかカラフルな花のリトグラフ。私の生活圏にはないセンス。私が高校時代、花巻で通ってた店もこんな感じだったかな。雑誌はもちろん、「女性セブン」と「女性自身」。「婦人公論」もあったので、中づりで見て気になってた、紫門ふみの夫、弘兼憲史について語ったインタビューを熱心に読んでしまった。

男性店長も女性の美容師さんも感じが良いし、ヘナの知識が豊富なので、円形脱毛症になって困ってやってきたお客さんが、ヘナに変えたら、すぐに生えてきた、なんて話をたくさん聴いた。

染まるのにちょっと時間がかかったので、『カリコリせんとや生まれけむ』を持参して正解だった。現代アートは詳しくないので、岡崎乾二郎とか知らない名前をスマホで検索しながら、いい退屈しのぎになった。今度来るときは、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』を持参しよう。

ドキドキの仕上がりだったけど、白髪は目立たなくなったし、色も大丈夫。ゴワっとするのも、むしろ、ハリが出てうれしい。数年前に戻った感じ。ヘナにハーブを混ぜたカラーは、8,600円ナリ。安くはないけど、ケミカルと変わらないので、よしとしよう。

帰りはなんとなく現代美術館のほうへ歩いて、住宅街を歩いてまた戻ってきた。遠くから見ても、人だかりができているので、コーヒー店はすぐにわかる。Blue Bottle Coffeeは今日も長い行列だった。

清澄白河、これから月1回通うことになりそう。

6月13日 冷麺が恋しくて

今週は、仕事が忙しかったり(たんに雑務で)、部長に怒られたりして(私としては理不尽なことで)、辞めたいモードに。あーあ、いつまでこんなことしてるんだろう。銀行員しながら、自分らしく生きる、なんてぜったいムリ。今は割り切るしかないけど、残りの人生をどんなふうに生きていくか、もっと真剣に考えないと。あっという間に50になってしまう。そんなきっかけを与えてくれたということで、部長に感謝してやろう。ありがとう!ふんっ!

ここのとこ、会田誠の『カリコリせんとや生まれけむ』をおもしろく読んでいたのだけど、現代アートの画家つながりで、前に買っていた奈良美智の『NARA LIFE』を読みはじめたら、奈良さんがセンチメンタルに感じられた。でも、やっぱ私が合うのは、こっちのほう。

「ラジド」で祐さんが、蒲田にある食道園の盛岡冷麺を紹介していた。食道園、かつて花巻にも支店を出していて、うちは焼肉は別にひいきの店があったけど、一度ぐらい行ったことあったかも。蒲田店は地元の人でいつも大賑わいなんだそうだ。「今度、行ってみない?」と、姉にメールした。 夏はやっぱり盛岡冷麺よ!

6月8日 ちょっとした気づき

会社帰り、肉を買おうと、コシヅカハムによると、Fさんを見かけた。自意識過剰な私は、一瞬、気づかないふりをしようかなと思ったけど、ちょっと聞きたいこともあったので、「この間はどうも」と声をかけた。Fさんは、ちょっと照れたように、でも、丁寧な柔らかい物腰で、かたわらにいたお嬢さんを「うちの娘です」と紹介してくださった。

私はどうもこういう場面で、自分が自意識過剰なことを悟られまいと、過剰に社交的ぶってしまい、結果、ドギツくなってしまう傾向があることに、気づいた。

社交的な母へのコンプレックスと、社交的であることが評価されやすい、外資系企業での長ーい生活で、 こんな不自然なコミュニケーションが身についてしまったのだろう。でも、べつに素の自分でいいのかも。挙動不審ってほどじゃないし。

それより、過剰であることで見逃してしまう、繊細なコミュニケーションにある豊かさを感じとれないことのほうが、損失なのかも。自意識過剰であることを受け入れて、目の前にいる相手に、肩の力をぬいてちゃんと向き合えたら、もっといろんなことが感じとれて、コミュニケーションが楽しくなるのかもしれない。

こういうことを気づかせてくれる、教養があって、敏感な大人っていいなあ。