6月21日 海街diary

昨日、ジュンコと「海街diary」を観た。

「何かあったの?」とジュンコに言われるぐらい、最初から泣きっぱなしだった。でも、感動というのではない。父性のない、優しい世界に、ただただ甘えるような、そんな涙だった。

映画に「父」は登場しなかった。登場する男性は、優柔不断だったり、傷ついていたり、でも、みんな女性を理解しようと、よりそって、優しい。そんな優しさを心の栄養にして、女性は自ら強くならなくてはいけないのかな、なんて思った。

海街diary」、悪くはなかったけど、国民的な人気女優を使って、派手に宣伝をして、是枝監督は、私が愛した作家性を失いかけているような気がした。「誰も知らない」や「空気人形」で描かれた、社会の外側の世界(底の抜けた社会、あるいは、狂気と言いかえてもいいだろう)、でも、そこにある「自由」に、心の深いところを癒されてきたのに。「奇跡」にもそういう感覚はあったと思う。「そして、父になる」にはほとんどなくなって、それは福山のせいだと思っていた。

莫大なお金がかかって、それを回収しなければならない映画は、本当にシビアな世界であることは想像できる。単純に昔に戻ることもできないのだろう。が、生きづらさを抱える人が楽になるような作品がもう観られないとしたら、さみしい。

「ビデオで十分だったかな」とジュンコ。長澤まさみがよかった、大竹しのぶはさすがだった、いうのは一致した意見だった。