5月31日 民主主義の話をしようぜ

とくに予定もなくて、暑かったので、今年初めてエアコンを入れて、買い物以外は外に出ないで、読書してすごした。

読んだのは、ラジオで小田嶋隆さんが強く勧めていた、高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』。「文章の勉強にもなる」 という一言で、購入を即決した。

このブログ、今は、書くことに慣れることを第一に、自由に書いているけど、私なりにめざすところもある。それには、届けたい人にちゃんと届けられるように、テーマも文体も、もっと洗練されたものにしていかなくてはならない、ということは考えているからだ。

この本は、朝日新聞の「論壇時評」に、2011年4月から2015年3月まで掲載された文章を掲載している。私自身も傍観者じゃいられなくなった、3.11以降の、政治、社会、教育などあらゆる分野での、その時々のトピックについて、一小説家というスタンスから書かれている。参考文献が紹介されているので、もっと深く知りたければ、それを読めばいいので、助かる。

赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』とか、最近、それまで小説しか書いてこなかったような小説家が、政治について書いた本が目立つ気がする。小説家は身体感覚で、今の日本は本当に危機的だと感じているから、たぶんふだん使わない労力を使ってまで、書こうとしているんじゃないだろうか。

こういう小説家が書いたものなら、難しい政治の話でも、ちゃんと読める。高橋さんの言葉を借りるなら、「小説家が世界をまるごと捉えようとしている」からかもしれない。私は、政治をお酒の席とかでエラそうに語って優越感に浸りたいワケではなくて、自分が幸せに生きるために、世界が今どんなふうになっているかを知りたいだけから。物語として。だから、データとか理論とか細かい分析は退屈なだけなのだ。研究者とかじゃないし。

この本は、1章が短くて読みやすいのもあるし、しばらく持ち歩いて、くり返し読んでいこうと思っているが、今のとこ、心に真っ直ぐ届いたのは、本のタイトルにもなった、学生による台湾の立法院の占拠について書いた章。詳しくは本屋で立ち読みでもしてもらうとして、学生が撤退するときのエピソードから、高橋さんが学んだのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも『ありがとう』ということのできるシステム」だという。

なんて、さわやかな定義。これなら、少数派の怨嗟も生まれないだろう。けど、これには、リーダーの胆力、時間、公正な決定手続き、多数派意見の合理性、少数派も決定事項に従うという契約精神、などなど、が必要になってきて、今の日本ではぜったいムリ!という気がしてくる。

私は会社などで物事を決定するような立場にはないけど、せめて少数派の意見をもつ人に説明する努力だけは惜しまないでいたい。そこには否定的な感情も含まれるので、ゴマかして、あとは権力使って、さっさと逃げたくなるのが人情ってものだ(こういうの日々目のあたりにしている)。私にリーダーの資質はないけど、この定義のもつさわやかさを胸に抱いて、そんな場面に立たされたら、やってみようと思う。民主主義は、まず自分からってことで。まあ、会社は民主主義で運営されてるワケじゃないんだけどね。