4月5日 再開

前回からなんと2年ぶりの更新。書いたほうがいいと自分でも分かっていたし、会うたびに「書いて」と言ってくれる人もいたのに、ネット環境を理由にずるずるしていた。

パソコンを買い替え、日記を再開することは、とてつもなくハードルの高いことだった。それだけ私はこの2年、落ちていたのだろう。

ハードルを越えることができたのは、悟ったからだ。自分には深いレベルでの心の交流が必要だし、そんな交流を多くの人ともつには、今の私には書いて発信してゆくしかない、ということを。

きっかけは、ちょっとした出会い。

3月上旬の土曜日、今年初めてエスパに行き、カウンターでサトコさんと話していると、となりにサトコさんの古い友人らしい男性が座った。元美術館の学芸員で、今は美大で教えている、画家のKさんという方。なんとなく3人で話すかっこうになって、彼が以前住んでいた鎌倉のこと、安倍政権、私がなぜ結婚できないか問題(!)、などについて話した。

血液型の話題が出ると、「性格は血液型よりも兄弟構成で決まるらしいよ。おれは、兄、姉、妹、義理の弟もできて、全部いるから、普通なんだ」とKさん。美術館で働く奥さんも、「普通でいいんだ」と思えるようになって、結婚して楽になった、というそうだ。素敵な話だな、と思った。

学生にもいつも言っているそうだ。「普通がすごいことなんだよ」と。

青年期真っ只中、自分探しに日々揺れる美大生と、私は同じように見えたのかな。40半ばのこのおばさんが。

Kさんが風花に移動するというので、私も一緒に行くことに。風花は10年ぶりぐらい。

どういう流れだったか、Kさんの学生がユングを研究してるという話題に。見当違いかもしれないけど、その学生は、自分や自分の作品に向き合うことから逃げているのはないかと直感し、20代の頃ユング派の夢分析を受けた経験のある私は、上から目線で言った。

ユング心理学は体験をとおして学ぶものなんですよ。自分の夢をとおして、ああ、ユングの言ってることは本当だ、って。あれ、やると死にますよ」

しんどかったエピソードもちょっとだけ。分析体験の話をしたのなんて、何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。

終電近くなり、店を出て、お互いの駅へ向かう別れぎわ、思わず、どちらからともなく手を差し出し、握手をして、笑顔で別れた。熱戦を終えたアスリート同士がエールを交換しあうみたいに。

ああ、こんな風に心が通いあうこともあったな。会ったばかりで、年も少し離れていて、知的レベルなんて何万光年も離れているのに(Kさんはアメリカ東部の名門大学首席卒業!)。Kさんが普通というか、自由な心をもっているのだろう。そして、こんな自由な心の交流に豊かさがある、ということを本当に久しぶりに思い出した。

この思いはしばらくの間、私の心を深いところからあたためてくれた。

私の心は深いところで冷えていたんだな。。