1月3日 昭和の大食堂

宮沢賢治に、花巻まつりの風流山車(だし)、大沢温泉自炊部。
私の故郷岩手県花巻市には本気で自慢できるものがたくさんあるけど、あらたに加えなくてはならないものがあることに今回の帰省で気づいた。

花巻を旅する人がいて、その人がその土地の人の暮らしにも興味をもつ、ちょっと気のきいた人なら、行くことをおすすめしたい。それは、















マルカンデパート大食堂。
















名物の「箸で食べるソフトクリーム」があるからだけじゃない。昭和の外食文化が、活気を失わずに、あたり前のようにそのまま残っている場所だからだ。

晦日、実家でゴロゴロしていると、母が、市内にある旦那のうちに泊っている姉と、マルカンで待ち合わせをしているという。とくにすることもないし、せっかくだから食堂でお昼を食べることになった。

帰省のたびに家族そろってマルカンの食堂に行くという友達もいるけど、私はたぶん20年ぶりぐらい。とりたてて行く機会がなかったのだ。

花巻一の繁華街上町商店街の交差点にあるマルカンデパートの駐車場に車を止め、エレベータで6階まで行くと、メニューのサンプルがずらーっと並んだガラスケースが記憶のままにあった。昔よく食べた、緑色のクリームソーダや、ホットケーキのサンプルもあたり前のようにあった。20年ぶりなら普通、ちょっとさびれて、レトロっぽく見えたりするものだけど。

チキンライスとクリームあんみつの食券を買って、500人は収容できる広いフロアを、蛍光灯の灯りの薄暗い奥の方から、日の差す窓際の席めざしてずんずん歩いていると、どんどん記憶がよみがえってきた。子供の頃から高校生の頃まで、何度も何度もここをこんな風に歩いていたなあ、と。家族と、ちょっと成長してからは、学校の同級生たちと。

席につくと、クッションの入ったビニール張りのイスも、箸立てのオレンジの透かし模様も、備え付けのグラスも、壁の丸いライトも、いちいち覚えていた。昔意識して見たことなんてないのに。

お昼どきでほぼ満席のフロアをぐるっと見回すと、総勢3、400人はいる、家族連れや高校生のグループが、がやがや思い思い好きなメニューのごはんを食べていて、テーブルの間をメイドさんみたいな制服を着たウェイトレスや、高校生らしきバイトが、お盆いっぱいにのせた料理を忙しそうに運んでいた。

そんな光景を見て、香港郊外の元朗で行った茶楼を思い出した。マニュアルづけの、窮屈なファミレスに慣れた私の目には、自由で活気あるその光景は、もう日本を超えて、アジアっぽく見えてしまったのだ。よくぞ、変わらず残っていたものだ。

どこの地方都市でも抱えている問題だと思うけど、上町商店街も郊外にできたイトーヨーカドーに客をうばわれ、シャッター商店街になっている。そんな中にあって、マルカンだけが1人気をはいているのである。いや、マルカンも5階までのフロアは閑散としていて、小学生の頃友達の誕生日プレゼントを買ったファンシーショップなど跡形もなくて、100円ショップが入っていたりする。大食堂だけがいったいどこから人が沸いてきたのか?というように、にぎわっているのである。

その理由は、いったいどこに?

まず単純に、安くて美味しいからだと思う。マルカンはスーパーも経営しているから、いい食材を安いコストで調達できるのだろう。だから、ラーメン280円、スープ付きチキンライス490円なんて、時代錯誤な値段を維持できるのだろう。

美味しいのは、長年働くいいコックさんがいるからに違いない。おばちゃんのウェイトレスさんの中にも、社員として何十年も働いている人もいるらしい。こんなご時勢、経営者の方の努力には敬意を表したい。

そしてもうひとつ、花巻の人たちがマルカンを愛しているから、というのも間違いなくあるだろう。

長居してもとがめる人なんていないし、がやがやうるさいから大声だしても大丈夫なのをいいことに、町内会とか、趣味の集まりの、お昼を食べながらの会合にもよく利用されているそうだ。そんなとき、「ちょっと長居しちゃったから、お腹いっぱいだけど、悪いから、もう1品頼む?」なんて気づかいを、みんな忘れないのだそうだ。狭い町だし、ウェイトレスさんが知り合いなんてことも多いだろうから、特別なことではないのだけど。

マルカン閉店?なんて噂も一時期あったらしいけど(!)、こんな花巻市民の愛に支えられて、マルカン閉店しても、大食堂だけは続けよう、と社長さんは考えているらしい(母伝)。

花巻市民の思い出がいっぱいつまった、マルカンデパート大食堂。

どうかどうか、永く続いて、外食のウキウキ感、みんなで食べることの楽しさ、その楽しさをつうじて深まる絆を、平成の子供たちにも伝えてほしい、と願う、昭和生まれの昭和育ちなのであった。