2月7日 雨。少し暖かい日。

ほんの半年前まで胸をふさいでいた思い。

 自分の生まれ育った町が目の前でなくなるって、どういうことだろう?

 自分のもちものが何にもなくなるって、どういうことだろう?

 目の前で人が波に飲まれていくのを見るって、どういうことだろう?

 周囲でたくさんの人が一度に亡くなるって、どういうことだろう?

 流された瓦礫の上で一夜を明かすって、どういうことだろう?

今日会社帰りの電車の中でふと、自分の心の中を注意深くさぐってみたけど、
そんな苦しさをともなったたくさんの思いも、今はなくなっていることに気づいた。
私が何も失っていないからだろう。

ここ最近、YouTube津波の映像をくりかえし見ている。
震災前にテレビを捨てていた私は、津波の映像はほとんど見ていない。
だからすごくショッキングだ。
大声で泣きたくなる。
みんなこんな映像を毎日見ていたのだろうか。

音声に入った周囲の人たちの声が歓声に似ているのが意外だった。
現実感がなくて、もう笑っちゃうっていう感じだったんだろう。
でも、彼らは当事者だ。
その後、どれだけの悲しみが彼らをおそったことか。

今年の3.11、どんなふうに過ごそうか考えている。

10月に一緒に活動した盛岡ゆいっこは、
山田町に伝わる灯篭を、犠牲者と同じ1万5千個盛岡の町に灯そうとしている。
内陸の人たちが一緒に悼むために、いいアイディアだなと思う。

でも、私はできれば被災地で被災者の方たちと一緒に過ごしたいなと思っている。

7月に花巻ゆいっこのシンポジウムにつれていった母は、
ちょっとムリしすぎなんじゃない、というぐらいボランティアに取りくんでいる。
もうすっかり花巻ゆいっこのレギュラーメンバーみたいだ。
この間は大槌の仮設住宅にも行ってきたようだ。
自分が身につけてきた手芸や料理が喜ばれたり、ほめられたりするのがうれしいんだと思う。
だから、3.11は母や花巻ゆいっこのメンバーと一緒に大槌か釜石に行くことになるかな。

1年たって被災者の方たちは当時の思いを、私にも語ってくれるだろうか。