2月4日 晴れ。少し暖かい。

今年最初の日記に「今年は変化の年」なんて書いておいて、そんなことすっかり忘れてこの数週間「会社人間」になってしまっていた。私としたことが!

去年の年末最終日、部長(私と同級生の女。NYで働いた経験あり)に、始業前、「195さん、ちょっといい?」と突然会議室によばれ、えーっ、なに!?私クビ!?とか思いながら、ドキドキしながら部屋に入ると、仕事の担当変えを言いわたされた。

まあ、去年後半はもうなれた仕事をして毎日5時に帰るのが普通になっていたので、こんなラクなのが続くワケないと思ってたし、異動は会社員の宿命だからしょうがないと受け入れて、年初からはじまったひきつぎに、脳内ディスクFULL、これ以上新しいデータSAVEできません、という毎日を1月いっぱい送っていた。

これは私に職業人としてのプロ意識があるからなんかじゃなくて、私と仕事が変わった後輩女子が、去年私が毎日5時に帰っているのを見て、「195さん、仕事少ないんじゃない?」と言っていたのを人づてに聞いてムカついていたので、仕事が早いだけがとりえの人間としてのプライドとして、仕事変わっても5時に帰るスタイルを徹底的に貫こうと、心血そそいでいたのだ。

だって、一瞬だって長く会社にいたくないんだもーん。

しかし、なんだかんだいって今の会社も10年。去年永年勤続表彰で10万円のボーナスももらってしまった私は、「会社人間」として生きる術を知らず知らず身につけていたようだ。最近初めて気づいたことだ。

その術とは、自分を殺すこと。

もともと向かない、なんで自分が今ここにいるのかときどき疑問に思う、欧米外資系金融の世界(といっても事務系のかなりユルいとこですが)では、本が好きだったり、ひとりでぼんやりするのが好きな人間はちょっと変わった人。そういう世界で生きるために、私は本来の空想好きの自分を封印する術を知らず知らず身につけてしまっていたようだ。

だから、「会社人間」として生きたこの数週間、会社帰りに往来堂によって、本の背表紙眺めてもワクワクできず、何にも感動できず、自己否定感が強くって、プチ鬱な日々を送っていた。どうしたらここを抜けられるか、自分でもよく分かんなくなってた。

でも、今日ようやく復活!!

TSUTAYAで借りてきたくるりの「奇跡」の詩にグッときて、意味なく号泣したりして、カタルシスをえて、ようやく自分をとり戻すことができた。

お久しぶり、私。

岩手の小学生だった頃から実はあんまり変わってないんじゃないかっていう、私。

今年は変わるんだっていってた私そのものを見失ってたら、本末転倒だったね。

よかった、離れずに近くにいてくれてた、私。

今年は君が生かされるような生き方をちゃんと見つけだすから。


追記:10数年食べさせてもらった欧米外資金融の世界を多少擁護すると、圧倒的に出世する人は意外とたいへんな読書家だったり、文学に造詣がふかかったりします。しょうもないもないのは、極東ニッポンの課長とか、部長とか、小物連中です。

英語の金融用語には聖書の言葉が多いので、金融はもともと発祥が人助けだったのかなーって思ったりしてます。そういう本があったら、教えてください。