11月1日 秋晴れ

この間の土曜日、ツイッターでみつけた、「歌った、踊った、泣いた、笑った〜岩手県山田町での一日」上映会&トークに行ってきた。場所は青山のウィメンズプラザ。

東京ではもうだいぶ忘れられ去られようとしている気がしてならないけど、私は今でも被災地に行ってきた人の話はとくかく聞きたくて、これはと思うものには足を運んでいる。

映像は、連連影展というフェミニストの団体が、山田町で3ヶ月間炊き出し活動をした池田美佐子さんという女性の、避難所での最後の一日を追ったもの。

上映前のトークにも登場した池田さん。小柄で、ベリーショートの、一見どこにでもいそうな明るくて豪快なおばちゃん。「避難所ではいつのまにかみんなに『おばば』とよばれてました」なんて自己紹介してたけど、避難所ではいくつかの組織から派遣されたたくさんのスタッフをたばね、そのリーダーとして、何百食もの炊き出しを指揮していたというんだから、相当な経験とヴァイタリティ、リーダーシップのある人だということがうかがえた。

映像は20分ほどのごく短いもので、それでも、池田さんの太陽のような明るさと力強さが、傷ついた避難所の人たちの心を癒し、生きる希望を与えていたことが伝わった。別れのとき、避難所の人たちは、「元気をもらった」「ついていきたい」と胸をつまらせ、そしてただ涙にくれる人もいた。

映像の中に、池田さんが率先する山田に伝わる踊りの輪に、避難所の人たちが次々にくわわるシーンがあった。上映後に「あれは山田の伝統芸能ですか」という質問があった。池田さんいわく、山田の人はとにかく踊るのが好きで、お祭のときはみんなが踊って観てる人がいなくなるぐらい、でも、踊れるようになるまで3ヶ月かかった、と。食事をとおして、被災者の心によりそって、見守ってきたのだろう。

会場には、山田町出身の医師の女性もいた。医療支援のスタッフとして、山田に行ったとき、もっとも恐れたのが感染症。各避難所の衛生状態や健康の調査結果をきくと、ひとつだけ大丈夫な避難所があった。「どうしてなんだろう」と疑問に思っていたけど、それが池田さんのいた避難所だった。「今日謎がとけました」と。

池田さんと活動をともにしたスタッフからもいくつか発言があった。「避難所の方たちへの声かけがすごかった」「炊き出しは想像以上に重労働で、準備をしながら、被災者の方たちに寄り添うのは並大抵のことではない」。

池田さんにとって料理はもともと、たんに空腹を満たすものではなくて、体を強くして、心を癒し、生きる活力を与えるものだったんじゃないか。

池田美佐子さん。いったいどういう活動をしてきた人なんだろう。家に帰ってさっそく調べてみたけど、やっとたどりついたのが、池田さんと炊き出し活動をしたNGOのスタッフのブログ。そこで分かったのが、長野でフランス料理のシェフをしていたということぐらい。

この震災で、民間の名もない人が、実はすごい仕事をしていたんじゃないか。

それから、生きることの基本で、あまりにも当り前すぎるけど、食がもつ力についてもあらためて考えさせられた。