6月15日 晴れ

4泊5日の帰省から帰ってきた。沿岸の被災地にボランティアに行くぞ!と意気込んでいたのだけど、連絡をとっていた支援組織ゆいっこから返事があったのが、直前。花巻ゆいっこが主に支援している大槌町は、町長が亡くなったこともあって、行政機能が麻痺していて、ボランティア受け入れ態勢が十分ではなくて、宿泊施設も野外しかなくて、返事をくれた担当の女性も「毎週行ってるけど、泊ったことはない」と。体力も専門技術もない私は足でまといになるだけだ。すっかり怖気づいてしまって、結局、花巻市内であったシンポジウムへの参加と、支援物資を保管している倉庫を内陸に避難している方たちに開放した日のお手伝いが、できたことだった。

シンポジウムには花巻の温泉に避難している方たちも10数人参加していた。津波の被災者との初めての出会いだ。東京でも被災地へ行った人の報告会は何度か参加していて、そのたびに涙が止まらなくなる私だったが、被災者の生の訴えには不思議と涙は出なかった。

「なんで私たちだけがこんな目に遭うの?」。何かの「被害者」なら当然いだきそうな、そんな被害者意識は感じられず、現実をたんたんと受け止めている、そういう印象だった。被災地に入った人何人かが「意外と悲壮感がない」と口にしていたけど、私も同じ印象をもった。

となりに座っていた年配の女性が声をかけてきた。アンケートを代わりに書いてほしい、と。大槌で家を流され、息子さんと大沢温泉に避難しているという。ゆいっこにはお世話になった。これから仮設に入るけど不安だ。自分たちの話を聞きに来ない大槌町議に不満がある。女性が言いたかったのはこれだけ。「余計にもらったから」と言って、代筆のお礼なのか、私にペットボトルのお茶をくれた。

息子さんと避難って、ご主人を津波で亡くされたのだろうか。もちろんそこまで聞けない。

大沢温泉はよく行く大好きな温泉。一緒に行った母が名前を聞くと、「シヅエさん」と教えてくれた。大沢温泉に電話して、名前をいうと、ちゃんとつないでくれる、とも。

シンポジウムが終わって帰ろうと立ち上がると、シヅエさんは背が私の肩までもない。足を少し引きずっている。話しながら建物を出ると、「シヅエさん、こっちこっち」と、一緒に避難されている方だろうか、若い男性が声をかけていた。その男性も、私たちにあたたかい気持ちを寄せてくれていると感じた。

大槌の人たちともっと話したい。同郷のよしみで、ごく普通な感じで。

震災直後強く思ったことのひとつが「忘れないこと」。1年後も2年後も、東京のみんなが忘れても、岩手出身の私だけは忘れてはいけない、と。

パッとしたことは何もできなかったけど、こういう気持ちがもてたことは小さな収穫だった。