1月16日 仕事と人生

昨日は会社都合で辞めることになったウチダさんの最終日だった。リストラとはいえ、納得の上だし、辞めても生活には困らないし、次なる計画もあるようだからだろうか、涙は見せず、晴れやかな笑顔で去っていった。両手で抱えきれないほどの花束と、お世話になったお礼にと、他部署の人からも送られたプレゼントの数々。それらがウチダさんへの最高の賛辞だったと思う。私のときは、あんなふうにはいかないだろうな。

夜は町人で宮下さんと新年会。高村光太郎の戦争責任、SEALDS、村上春樹の小説では何が好きか、田中小実昌が好きだったオムレツ、退職金の相場の話など。編集者と話すのはやはり楽しい。話がつきない。文学や映画、社会事象について自由に語れて、新しい発見も得られるような場、もっとほしいな。

2月20日増上寺で行われる「岩手わかすフェス」という、岩手と東京の人をつなげることを目的にしたイベントのボランティアスタッフをすることにした。 たまたまたどり着いた、Uターン男子茂庭クンという、私の高校の後輩の男子のブログで見つけたのだ。花巻にもこんな若い子出てきたんだな。

昔は岩手に帰るなんてあり得なかった。「地方の時代」なんて言われるようになっても、岩手は関係ないと思っていた。震災後、愛郷心が生まれ、岩手のために何かできることはないかなとちょっと考えたりはした。でも、Uターンはないだろう、と自分でも分かっていた。第一、仕事ないから。

去年からだ。岩手も変わってきたな、と実感するようになったのは。高校の後輩、高橋博之クンがはじめた「東北食べる通信」が注目を集めたり、盛岡の一箱古本市で、Uターンして水沢でロシアの輸入雑貨のお店をはじめた人と出会ったりしたからだ。

Uターンもありかも。いや、むしろそっちのほうが、幸せかも。今はそう思うようになった。それには、具体的に動かなくては。というわけで、今日これから、増上寺でのスタッフミーティングへ向かう。ちょっと楽しみだ。

人生が静かに動き出している気がする。いいぞ、いいぞ。新年から。

1月3日 新年の決意

カヤバコーヒーの窓際の席に座って書いている。

東京はお正月休みで空気が澄んでいるせいか、ここへ来る道すがら、旅先の朝のような、新鮮な気持ちになれた。新年からこんな気持ちになれて、うれしい。

去年、結局日記あまり書けなかった。自分の気持ちを上手く文章にのせられなくなっていたのだ。ムリに書くものでもないと思うけど、書くことはけっして手放さないようにしなくては。

昨日、根津神社でおみくじを引いた。猿年で魚座の私は今年運勢がいいから大吉かな、と思ったら、大吉だった。思いが先、って本当なのかも。

明日はもう仕事始め。今年から担当が変わるせいか、それほど憂鬱ではない。少し張り切った気持ちすらある。本来、仕事ってこうあるべきなんだろうな。

こだわらず、幸せになることを恐れずに、幸運の波が来たら、迷わず乗れるように、今日のこの新鮮な気持ちを忘れない1年にしたい。

11月22日 心の自然

朝日新聞1面の鷲田清一さんのコラムで引用されていた、べてるの家ソーシャルワーカー、向井地さんの言葉が心に響いた。

心の弱い人は、嘘をついてまで人を蹴落とすとか、自分を大きく見せようとふるまうと、病気のスイッチが入る。心の弱い人は、「人の心の自然」を見せてくれる。

半分は自分の責任があるのに、自分の落度はなかったかのようにふるまうのが上手な人、自分の勘違いに気づいたくせに認めず、途中から真逆のことを言い出す人、ベテランが言った言葉を、そのまま別の人の前でもっともらしく使い、仕事できるぶる人。

うちの会社にはこんな人がふつうにいっぱいいる。分かる人とは私も陰口を言ったりするけど、一緒に仕事をしてない人は案外いい人と思っていたりして、面白くない。そういう人たちって、また上手いからね。

でも、そういう人たちって、人として自然じゃないのかも。病まないのは、少し強いだけで、人として幸福ではけっしてないのだ。そんな人たちの存在に、いちいち影響されてしまうのはバカげたことだ。

10月25日 遠くて、親しい関係

昨日、静岡からいとこの雅子ちゃんが遊びにきて、姉と3人でいとこ会をした。

この8月に、今会わなかったからもう会うこともないかも、と、今は教室で教えたりしながら、水彩画を描いているおじさんの個展を観に、静岡に行って再会したのがきっかけだ。実家暮らしの雅子ちゃん、たまには東京に来て刺激がほしかったようだ。

16時に、飯田橋のお堀端にあるカナルカフェで待ち合わせ。デッキ席で、秋の乾いた風に吹かれながら、近況など話ながら、お茶をした。3人でそろうのは、結局正確な年数は分からなかったけど、40年ぶりぐらい!雅子ちゃんのお父さん、私たちの母の兄である、せいじおじさんがたいへんな放蕩者で、実家から勘当されていたので、母はときどき連絡をとっていたものの、表立った交流がなかったのだ。

他人なら知り合ったばかりのようなもので、人見知りの私は、実は神経使ったりしてたのだけど、そんなこと気づいてないのか、気にとめる様子もなく、オープンに接してくれる雅子ちゃん。 親戚ってこういうものなのか。テレビばっかり観てるという、姉と雅子ちゃんは情報が一緒。ラグビーの五郎丸とか、嵐のコンサートとか、フォルクスワーゲンの車とか、波長があってる。ごく一般的な女性から、私は少しズレてるんだな。あらためて実感した。

夕食の前に、神楽坂を歩くことに。 フレンチ食材店の店頭でチーズの試食をしたり、子供に読み聴かせる絵本を探したいという、保育士の姉につきあって、カモメブックスで絵本を見たり、la kaguで雑貨を見たり、姉のだんなのお土産に五十番で肉まんを買ったりしながら、夕暮れの神楽坂を3人でおしゃべりしながら歩いた。

夕食は、路地裏にある、中華料理のエンジン。お店選びは大正解だった。シンプルでモダンなインテリアの隠れ家風のお店は、親しい女3人組にぴったり。ビールで乾杯して、キクラゲと梨の和え物、さんまときのこの春巻、戻り鰹の香味ソース、トマトとイカの炒め物、〆は切り干し大根の大根餅。旬の食材を使った、ニューウェーブな中華を、ぞんぶんに楽しんだ。違う季節にまたきてみたい。

その後、タクシーで新宿3丁目へ移動。エスパで2次会をした。雅子ちゃんに文壇バーを見せたかったのだ。雅子ちゃん、とくに感激した様子はなし。せいじおじさんなら、喜んでくれるかな。

同僚とか友だちと話していると、仲のいい、いとこがよく登場したりする。 うらやましいと思ったこともないけど(姉がいるからだろうか)、いとこづきあいというものを、この年で始めてみるものおもしろいかな。なんといっっても血がつながってるんだから。いろんな発見がありそう。

9月23日 正直で、真面目

松浦弥太郎さんのトークを聴きに、代官山TSUTAYAに行ってきた。

最近まで知らなかったが、松浦さん、この4月に「暮らしの手帖」をやめて、なんと、クックパッドに移っていたのだ。

6、7年前だろうか、安田邸で往来堂企画のトークを聴いて以来の、松浦ファンだ。

「私は高校を中退しているから、学歴は中卒、学歴コンプレックスがあります」。そんな話からはじまったトークだった。バイトで貯めたお金をもってアメリカに渡り、英語もろくにしゃべれないのに、頼み込んで、無給で工事現場の手伝いを始めたという、アメリカ時代の話が印象に残っている。

雑用を一生懸命やるうちに、少しずつ認められるようになって、バイト代払ったら、なんて声もあがるようになったある日、熱を出して、2、3日休んでしまった。快復して、おそるおそる現場に出かけると、みんな集まってきて、「どうしたんだ」「心配したぞー」と口々に声をかけられ、みんなの前で号泣してしまった、なんていうエピソードは、今書きながらも、涙が出てくる。

「あの頃みたいに、またゼロから何かを作りあげてみたい」。そんなふうに、結んでいたっけ。

クックパッドには、大学卒の新入社員十数人と一緒に入社したそうだ。社員のほとんどは知らず、入社式で松浦さんの名前が呼ばれると、「えっ、同姓同名?」 とどよめきが起こったそうだ。無理もない。最初の配属は、社長室付。これからこの会社で何をしていきたいか、松浦さんがプレゼンをすることになると、200人近い社員全員が参加を希望したそうだ。 松浦さんとこれからおもしろい仕事ができそう!とワクワクしたことだろう。

トークを企画したのは、料理書売場担当の、元編集者の女性。古書店を経営し、元祖ライフスタイル誌「暮らしの手帖」の編集長が、ウェブの世界に移ったことは、かなりの衝撃だったという。その理由をたずねた質問に、来場者を見ながら、あっさりと答える、松浦さん。

「えっ?これからは、スマホとインターネットでしょ?」

その軽やかさ、自由さに、思わず吹き出してしまった。そんな松浦さんだから、既成概念のとらわれず、古書店ブームの先駆けとなるような、新しいスタイルの古書店を作ったり、「暮らしの手帖」を生まれ変わらせたりできたのだろう。

「クリエイティブであるために心がけていることは?」。来場者からの質問にこんなふうに答えていた。

「素直であること、かな。素直だと、自分の子どもぐらいの年齢の人とも、コミュニケーションがとれて、そこから学ぶことができる」

クックパッドの社員たちは、同僚の松浦さんから仕事以上のことを学ぶことができると思う。ちょっとうらやましい。

トークの終わりに、立ち上がって、来場者を見つめながら、松浦さんは、こう結んだ。

「できるだけ正直に話して、そこからみなさんが何か感じとってくれたらと思って、一生懸命話しました。お役に立てたら、うれしいです」

一瞬一瞬に真面目な姿に、またウルっとさせられてしまった。

8月4日 ここはだれの場所?

東京都現代美術館の会田一家の騒動は、展示続行ということで落ち着いたようだ。先週の木曜日、町人のマスターと、「撤去される前に観とかなくちゃ」なんて話をしてたのに。

今日の「JAM THE WORLD」で、事情通が、担当キュレーターと、上司である館長との確執がそもそもの発端、みたいなことを、話していた。当の会田さんは、個人攻撃はさけたいとばかりに、言葉をひかえているそうだ。メディアも、「表現の自由への弾圧!?」と、ちょっと色めきだってたのにね。

でも、これって、もしかして、みずまギャラリーと会田さんが仕掛けた、ハプニング?
担当キュレーターもグル?

だとしたら、大成功ですね!

いや、意図したものでないとしても、結果として、私たちに多くのことを考える機会を与えてくれたし、話題になったので、都現美に足を運ぶ人は増えるだろうし、私的には、今の時代の空気に風穴を開けてくれたような気がして、喝采を送っいてる。

もちろん、今勝ち組の会田さんだからできたことだと思うし、意図したものなら、そこに周到な計算と準備があったはずなのだけど。

去年の紅白でのサザンのパフォーマンスの件で、桑田さんが謝罪したとき、とても悲しくて、アーティストが自由に表現できない時代がしばらく続くのだと、どんよりした気持ちでいた。

が、意外と早く、潮目が変わった気がする。

SEALDSなんて、私的にはイケてる若者も出てきたし、日本はやっぱり、いざとなるとバランスが働く国なんだなと、安心する。

ここはだれの場所?

私の場所なんだから、空気なんて読まずに、自由に、自分の言葉で話して、もし、その言葉が誰かを傷つけたりするのなら、改めてなくちゃならないけど、自分は自分、ありのままでいていいのだ。そんなことを会田さんは、今の日本に伝えたかったのだろう。

これほど、現代アートをリアルに感じたことはない。

早く、観にいかなくちゃ!

8月2日 静岡へ、懐かしい人に会いに

おとといの金曜日、有給をとって、せいじ叔父さんの絵の個展をみに、日帰りで静岡に行ってきた。

母の次兄である、叔父と会うのは、人生で3回目、30年ぶり。今会わなかったら、もう一生会うこともないかと思い、わざわざ新幹線に乗って会いに行ったのだ。

会うことはなくても、何かと話題にのぼることの多い、伝説の叔父だった。 母からよく聞かされたのは、「数学の神様と言われて、高校の先生にまで教えてた」「高校の卒業式もけんかして出られなかった」「どこかで野垂れ死にしてるんじゃないかと思ってた」。最近の口ぐせは、「せいじの人生、想定外」。

叔父は60をすぎてから独学で水彩画を始め、公募展に応募しているうちに、「教えてほしい」という人が4、5人集まってきたので、会費1,000円 だけもらって教えていたら、生徒さんがどんどん増えて、多いときで、5つの教室をかけもちして、100人ぐらいを教えていたそうだ。

今回叔父と会って知った新事実は、中退した岩手大学数学科は、素行が悪く、大学入学が決まらないと、高校を卒業させてもらえないから、とくに勉強もせずに受けたら受かった、大阪でのプロのハスラー時代、日本で5本の指に入るほどだった、など。まあ、ちょっと頭がいいことに慢心した、遊び人の放蕩者だったのだ。

借金や愛人、会社の金使い込み、なんて冗談じゃすまない問題もいろいろ起こしていて、実家からは勘当されていたので、30年も会う機会がなかったのだ。

今回の私の訪問はよほど嬉しかったらしい。 案内ハガキをたよりに、静岡駅から電鉄で一つめの日吉町という駅にある画廊にたどり着くと、懐かしそうな笑顔で迎えてくれた。叔父さん、こんなに背低かったんだ、というのが第一印象。「今日は朝からウキウキだったのよ」と画廊のママさん。次々に訪ねてくる生徒さんたちに、得意げに紹介され、みなさん、絵の先生の姪ということで、温かく接してくれた。

周囲に迷惑をかけても、最後は誰かに助けてもらえたのは、人好きのする叔父だったからなのだろう。

せっかくの静岡、B級グルメの私はタダは帰りません。高橋みどりさんの本で知った、青葉横丁の三河屋を予約しておいたら、叔父も一緒に行きたいというので、急きょ予約を2名に。5時の開店と同時に、静岡おでんと串揚げをつまみに、杯を交わした。

叔父は上機嫌で昔話。「何やってもいい線までいくんだけど、一番にはなれなかった」「依存症だったな」なんて話に、自分と同じ血を感じた。叔父さんにくらべたら、ずいぶん小粒だけど。「文才はないけど、自伝を書きたい」というので、事例研究したほうがいいよ、ナルシシズムの垂れ流しは勘弁ね、と、エラそうに指南。本気を感じたのだ。

叔父の娘、いとこの雅子ちゃんも私に会いたいと、仕事帰りに合流することになった。一人っ子で、叔母方の親戚付き合いもほとんどないから、私に会いたいんだ、と叔父。最後に会ったときは小学生で、ちょっと暗い子だった。父親が問題起こしてばかりで夫婦げんかが絶えなかったら、無理もない。

30年ぶりの雅子ちゃんは、ごくごく明るい普通のOLさんになっていた。静岡大学を出て、新卒で入った地元企業で今も働いているそうだ。「オレ、反面教師」と叔父さん。まったくそのとおり。叔父にはぞんざいな口を聞くけど、父娘はこんなものだ。私と父よりよっぽど仲良く見える。

叔父の生徒さんがやっているスナックへ行こうと、静岡の街を3人で歩く。金曜日の夜なのに、それほど混んでなくて、のんびりしてていい。東京へ出たかったけど、貧乏で地元の大学に行くしかなかったという雅子ちゃんは、静岡を卑下するけど、静岡悪くないよ。

スナックは開店しておらず、結局叔父の家の近くの行きつけのカラオケスナックに行った。超ディープ。常連さんたちに、私たちを得意げに紹介。叔父はここでも人気者みたいだ。石原裕次郎なんかを2、3曲熱唱。私も雅子ちゃんも2曲ずつ。雅子ちゃん、歌が上手い。これも血だね。のど自慢の常連さんたちをおさえて、「PRIDE」で本日の最高得点。

新幹線の時間もあるので、お開きに。叔父の家の前で、別れた。個展で気に入った絵を送ってくれるそう。病気で療養中の叔母も出てきてくれた。叔父がたいへんなとき、私の母がずっと愚痴の聞き役だったから、いろいろな思いもあったのだろう。

静岡駅まで雅子ちゃんが車で送ってくれた。30年ぶりのいとこってちょっと不思議な関係だ。初対面のようなものだけど、身内だから叔父を自慢してもケナしてもいい。「私、よくグレなかった」と雅子ちゃん。ホントそうだ。東京へ来ることがあったら、私の姉と、もう一人東京に住むいとこと4人で、いとこ会をやろう、と約束する。雅子ちゃんにとって、姉ができたようで、ちょっと嬉しいことだろう。なんといっても血がつながっているのだ。こういう関係は大事にしなくては。年を重ねていくこれからはなおさらのこと。